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40歳独身WEBスキルなし。在宅ワークで0→1を目指すワケ

こんにちは。くりっこです。

本日は私のWEBサイトにお越しいいただき、ありがとうございます。

私は、WEBスキルの知識も実績もない40歳の独身女です。

地方の私大を卒業後、東京の建設業で15年間働いていました。
しかし、仕事を続けていくうちに「今の仕事は自分に向いていないのでは?」と感じるように。自分らしい生き方を求めて、思い切って退職しました。

その後はフリーターとして、飲食店をはじめとしたさまざまな職種に挑戦。

会社員時代とは違った楽しさ・辛さ・大変さを体験し、やりがいを感じられて、かつ収入も得られる仕事はないかと探していた時にWEBマーケティングを知りました。

WEBマーケティングって何?なんだか怪しい・・・

私もはじめは全く興味がありませんでした。笑

しかし、これを極めることで、自分の働き方も人生も大きく変えられると確信し、挑戦を決意しました。

在宅ワークでWEBマーケティングのスキルを習得し、1年後に月収50万円を目指します!

ここまでお付き合いしてくださったみなさま、ありがとうございます。

これまでの私の人生について、もっと読んでみたいと思ってくださった方は、さらに詳しい自己紹介文をまとめていますのでぜひ最後までご覧ください。

私のように、これまで真面目に仕事をしてきたけれど、将来をこのままで終わりたくないと密かに悩みを抱えていらっしゃる方にとって、少しでも参考になれば幸いです。

基本情報

・くりっこ
・1984年生まれ(40歳)
・宮城県出身、東京都在住

2008年 建設業に就職
2022年 キャリア向け飲食スクールに入校
2023年 キャリア向け飲食スクールを卒業
2024年1月 建設業を退職
2024年2月 フリーターとしてパート開始
2024年9月 フリーランスのオンラインスクールで学び始める

幼少期〜中学校

ちょっと変わった家庭環境

私は宮城県の田舎で、ひとりっ子として生まれ育ちました。

まじめな父親、優しい母、少し気難しい祖父母。

祖父母は自宅の一部を改装し、生活用品や駄菓子を販売する自営業を営んでいました。

家族全員働いていることが、私にとっての日常でした。

祖父母は、どちらも悪い人ではないもののクセが強い性格。

今は使われていませんが、実家には自家製の漬物・味噌をつくる専用の地下室(約4畳)があり、ひんやりとした空間で、四方はもちろん窓なし(地下室なので)、ハシゴで登り降りする出入口は「蓋」。
祖母を怒らせると、この狭い・真っ暗な空間によく閉じ込められました。

祖父はものすごく短気で、言うことを聞かないとすぐ叩かれました。

大人の言うことは絶対に聞かないといけない、大人を怒らせないために言い訳してはいけないと、厳しい躾をされて育ちました。

自由をはじめて知った小学生時代

田舎の小学校は、全校生徒100人弱。同級生は13人。

初めてできた同年代の友達と共に学んだり遊んだりすることで、私はようやく自分らしさを出すことができるようになりました。

家では静かに、外では思いっきり遊ぶのが日課でした。

枠の中に収まらないといじめられる中学生時代

中学校は6つの小学校が統合されて、同級生は120人と約10倍の人数へ。

中学生になって交流する人が一気に増え、一時期いじめに遭ったりもしました。

そんなこともあり、外では活発だった私は再び内向的な性格へ。

世間の窮屈さを感じつつもそれなりに生活していた私でしたが、実は両親が金銭トラブルによる被害に遭ってきたことを知ります。

人生観を考えるきっかけとなった祖父の死

実は、母の実家は東京ドーム3個分の土地を持つ農家で、祖父から叔父へと代替わりして農業を営んでいました。

その叔父が、祖父の名を使って3000万円もの借金をしていたことが祖父の死をきっかけに判明。

最終的には、叔父は広大な土地をすべて手放し、母を含めた兄妹も自己破産手続き等を行なったため借金は0になったそうです。

このトラブルにより、祖母一人を実家に残して母方の兄妹は音信不通に。母の実家は一家離散しました。

お金のトラブルは人とのつながりを壊してしまう

ほかにも
・幼少期の私のお年玉は全て祖母(父の母)が全着服
・叔母(父の妹)が両親に借金・踏み倒し

私が知らない間に、両親は金銭トラブルに巻き込まれていました。

「お金だけは誰にも頼らずに自分で稼がないといけない!」
早く自立して親孝行したいと考えるようになりました。

高校〜大学〜就職

母方の実家は一家離散しましたが、私の住む実家には大きな変化はなく、両親は今までと変わらない生活環境を提供し続けてくれました。

人生においてお金は大切だと理解できても、何不自由なく毎日を過ごせている私は将来を真剣に考えることができていなかった結果・・・

・なんとなく薬科大を目指して受験失敗
・浪人して再び薬科大を受験するも全落ち、理系の私大へ入学
・大学3年になり就活するも、地元の企業はすべて不採用

地元の企業に就職できなかった私は、就職を機に上京することを決めました。

社会人

’08〜:真面目に頑張った先に感じた違和感

入社したのは建設業。設計部に配属されました。

会社が取引するのは大手企業だったので、東大卒・京大卒などのいわゆるエリートとの仕事。頭の回転数や理解度の早さなどに圧倒される機会が多々ありました。

また、勤続年数が10年を超える頃から、同年代の取引相手は1人でプロジェクトを担当しているのに対し、自分はいつまでも上司と一緒。常に上司や仲間からアドバイスをもらわなければやり遂げられないことに、私は劣等感を感じるようになりました。

真面目に一生懸命働いてきたけど、この仕事は自分に向いていないかもしれない。

’17〜:中堅社員、モラハラ上司の部下になる

会社内で起きたトラブルをきっかけに大幅な人事異動が行われ、私はモラハラ上司の下で働くことになりました。

大勢の前でモラハラ上司から理不尽に怒鳴られ、プライドを傷つけられた男性社員は続々と退職。

同僚の女性社員は、年齢的に結婚・出産とステップを進んでいくので産休・育休へ。

どちらの流れにも乗れなかった私は、人手不足となった会社にとって「長時間働ける都合の良い駒」でした。

仕事が優秀というわけではなく、むしろ要領はイマイチ。だから毎日ほぼ終電。それでも終わらない仕事。

平日の疲れを癒すように、週末は泥のように寝て1日が終わり、また月曜から働く。

自分の一生を、こんな生き方で終わりにしたくない!

’22〜:飲食スクールに挑戦

同業に転職したら、人間関係は改善するかもしれない。けれど、自分に向いていない仕事をこれ以上続けたくない。

自分の人生は一度きり。挑戦するなら早いうちがいい!

食べることも作ることも好きだった私は、週末だけの飲食スクールに通い始めました。

これまで狭い業界でしか働いてこなかった私は衝撃を受けました。

世の中にはいろんな仕事があって、それぞれ「食」を通じたビジネスをセカンドライフにしようとしている。

自分で開業しようとしている人たちは、仕事を掛け持ちながらスクールに通っているにも関わらず、みんな楽しそうにキラキラと輝いていました。

周りがセカンドライフに挑戦する様子を目の当たりにし、自然と「自分も飲食店で開業したい」と思うように。

けれど、何のジャンルなら自分1人で営業できそうかはイメージがつかないまま、飲食スクールを卒業しました。

’24.1:キャリアを捨てて自由な生き方へ

さて、本業について。
2021年から取り組んでいたプロジェクトが一区切りするタイミングが訪れたのは、2023年の年末でした。

ちなみに、モラハラ上司はこの時期にはすでに別の部署へ異動しており、職場は穏やかな環境へと戻っていました。

同業への転職ではなく、別の職種に挑戦したいという理由での退職。

こうして、私は約15年勤めた会社を辞めました。

フリーターがフリーランスを目指すまで

実は恵まれていた会社員時代

会社員時代、終電コースの働き方でも残業代はもらえていたので年収はそこそこ。私はお金をかける生活に慣れてしまっていました。

・週一で外食ランチ
・2ヶ月に一度は飲み会
・毎月両親へ仕送り
・年1回は親子旅行をプレゼント
・株式に挑戦→失敗
・痩せるためのあれこれ(ヨガ/パーソナルジム/痩身エステ)
・飲食スクール

特に節約を意識せずに生活を続けていた結果、赤字にはならなかったものの自分が目標としていた貯蓄額には全く到達していませんでした。

フリーターとして人生やり直しを始めた私は、ようやくお金について真剣に向き合い始めました。

’24.2〜:フリーターの挑戦あれこれ

飲食スクール時代の知り合いのお店をはじめとした、さまざまな働き方に挑戦しました。

・個人焼菓子店
・個人居酒屋
・大手ファミレス
・MLM

MLMは、フリーターになって5日後にとある人づてから。
「将来自分が飲食店を始めるなら今のうちから稼いでおきたい!」という私の野望に、みごとにつけ込まれました。笑
けっきょく全くうまくいかず、数少ない人脈もどんどん切れてしまったのですぐに辞めました。

’24.7〜:カレー屋でキッチンデビュー

「個人でお店を開くならカレー屋がオススメ」

飲食スクール時代に多くの講師が仰っていたので、個人経営のカレー屋でキッチン担当として働き始めました。

自分が飲食店を開業するときにも、レシピを真似できれば最高じゃないか!

私の仕事は、皿洗い、野菜の素揚げ、盛付け、片付け、仕込み野菜の下処理やカットなど・・・いわゆる雑務全般。

カレー屋でバイトを始めて1ヶ月経つころには、腱鞘炎・バネ指・関節痛になりました。

さらに、激アツな言葉を浴びる毎日。

「俺の動きを止めるな」
「俺が声をかける前に行動しろ」
「だからダメなんだよ、わかる?」
「違うんだよ」
「(売上が)倍以上稼げないなら、雇ってもお金の無駄」
「オレ1人でもできる」
「いつまで経ってもできないまま」

会社員以上にモラハラのオンパレードでした。笑

ちなみに、熱い指導をしてくれるのは料理長的な1人だけ。他の方々に、毎日励まし(?)のことばをいただいています。

会社員時代に比べて拘束される時間は半分以下。時給は会社員時代の1/2以下。さらに体力も奪われながらの激アツ指導。

国から失業保険をもらえていた間は、こんな働き方でもなんとかギリギリ赤字にならず生活できていました。しかし、満了期間が近づくにつれて猛烈な不安に襲われます。

体力をここまで使わずにやりがいを感じられて、ストレスの少ない働き方、さらに収入も見込める仕事を早く探さないとヤバイ!

在宅ワークへの挑戦

’24.8〜:オンラインスクールとの出会い

飲食スクール時代から、友人や知り合いのお店をInstagramで毎日チェックすることが日課で、それはフリーターになっても変わらず。ふとInstagramから広告が流れてきました。

PC1つで、場所を選ばず世界中を飛び回りながら楽しそうに働いている女性がいる。

このときはじめて、オンライン秘書(事務代行)という働き方を知りました。

今度こそ私らしい生き方ができるかもしれないと、在宅ワークを学べるオンラインスクールに入会することを決めました。

オンラインスクールでは、コンテンツもサポートも充実していました。
スキルを身につけることができるだけでなく、どうやって仕事を獲得することができるか、さらにはモチベーションを維持するためのセミナーやメタバースオフィスまである!

実は、小さい頃にゲーム好きだった私は「コンプリート」することが大好き。なので、動画学習コンテンツが何個あるのかをまず調べました。笑

結果は・・・動画コンテンツが1500超え!!
それとは別に、ほぼ毎日開催されるセミナー。

コンプリートすることは早々に諦めましたが、毎日新しい情報がどんどん学べることにワクワクが止まりません。

在宅ワークの学習、ものすごく楽しい!

在宅ワークで初めての案件

初めての在宅ワークの案件は、クラウドソーシングから。
自分の今持っているPCスキルを使って、早く仕事をしてみたかったのです。

「採用してくださったクライアントに大いに貢献しよう!」と息巻いていたのは最初の1時間だけでした。

成果100円の仕事に、10時間以上かかったのです。時給にすると10円。笑

今のスキルのままでは、どれだけ頑張っても安定した収入は見込めない。早く高単価に繋がるスキルを身につけないといけない!

焦りから迷走。諦めかけた先にみつけた理想の働き方

在宅ワークの初案件が時給10円だったという衝撃を早く挽回したいと思った私は、インスタ運用代行に挑戦しました。しかし、どうしても苦手意識が抜けず継続できませんでした。

クラウドソーシングで事務系の案件を獲得できても、単発で終わってばかり。事務代行の継続案件は平日日中に稼働できる人を募集されていることが多く、働きたくても働けない。

オンラインスクールでは、学びたいこと・やってみたいことがたくさんあり、手当たり次第にちょっとずつ手を出しては中途半端な結果に。

子育てしながら在宅ワークしている人もいれば、本業を続けながら在宅ワークで大活躍されている人もいる中で、私はただのフリーター。

「自分は時間があるのにどうして何もできないんだ!仕事も継続もできない。なんてダメな人間なんだろう・・・」

学習を始めてから90日以降は、完全な燃え尽き症候群に。笑
自暴自棄になってやる気もなくなり、1ヶ月以上ほとんど何もしない状態になりました。

それでもオンラインスクールしか自分の生きる道はないという思いが頭の片隅にあったので、週1回のセミナーくらいは参加しようとダラダラ行動していました。

そんな底辺まで落ち切っていたタイミングで、トップマーケターのセミナーや、WEBマーケティングを学んで実際に活躍し続けている女性たちのセミナーを聴く機会がありました。

WEBマーケティング、面白そう。

ほぼ廃人だった私の心に、もう一度やる気が満ちてきました。

そこで、自分がなぜ会社員を辞めてフリーターになったのか、なぜ在宅ワークをしたいと思うようになったのか、これからどのように生きていきたいかを改めて見つめ直しました。

私は、会社に依存せず、自分の力で稼ぎ、一緒に働く仲間を選べて、時間が拘束されない自由な働き方がしたい!

仕事以外にも、趣味を満喫する時間とお金があって、家族に何かあったときにお金を惜しまず出せる状態になりたい!

私が理想とする働き方・生き方をするために、改めて0からWEBマーケティングを学ぼうと決意しました。

これから達成していきたいこと

いつか自分がこの世を去るときに「ああ、自分の人生は最高だったな!!」と振り返ることができるような生活をしたい。

私の理想の働き方・生き方はわかったけど、その目標だけでは明確なゴールが見えずにまた失敗してしまうかもしれない。そこで、1年後に月収50万円を稼ぐ目標を立てました。

生活費→30万円/月
貯蓄→20万円/月

実は私、会社員時代から2ニャンズと共に暮らしています。自分とこの子たちをこれからも大切にしていくために、そして趣味にもお金をかけられる生活費30万円。

今は遠く田舎にいる両親と祖母2人に何かあったとき、お金を惜しまずに出してあげたい。自分の老後資金も貯めたい。そのために貯蓄20万円。

今の生活に満足していない。そのために、私は変わろうとしています。

「今の仕事や生活に不満を感じている」
「転職したくてもなかなか挑戦できない」

私と同じような悩みを持っている人に、今の仕事以外の選択肢としてWEBマーケティングの面白さ・やりがいが伝わりますように。

40歳独身女の挑戦は始まったばかり。
在宅ワークでWEBマーケティングを学ぶ0→1ブログを、ぜひ定期的に見にきて下さい。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。